ステンドグラスビルダー 田中 瑠衣子さん

ステンドグラスビルダー 田中 瑠衣子さん

  • 2010年4月23日 
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アート

光とガラスが作りだす色で人の心が癒されていく。

つくばみらい市でステンドグラス教室を主宰し、ステンドグラス作家としても活躍をしている田中瑠衣子さん。
創業1929年の専門誌『美術年鑑』から「あなたの作品は美しい」と評価され、伝統工芸異色作家として名前を連ねている。独特な色使いの美しさに、作品を見た人から「みんなには見えない色が、あたなには見えるのね」と言われるという。
国内・海外を問わず、その評価は高く、展覧会への出展や個展開催など多方面で活躍をしている田中さん。そんな華々しい経歴の持ち主でありながらも、気さくで明るく初対面でもすぐにうち解ける性格。キラキラとしたガラスのような笑顔が印象的だ。

田中さんはパリを旅した時にノートルダム寺院で見た「バラ窓」の美しさに目を奪われ、ステンドグラスの世界に興味を持った。「バラ窓」と呼ばれるステンドグラスは中央から放射線状に伸びる円形の窓を指し、ノートルダム寺院のステンドグラスはパリ最古(13世紀)のものである。旅から帰り、守谷市でステンドグラスのアトリエを見つけ習い始める。「それまでは、ステンドグラスのことはよく知らなくて、習ってみるとまるで大工仕事みたいでした(笑)」。ステンドグラスの繊細な印象からは想像がつかないくらい作業工程は男性的で、以前から大工仕事が好きだった田中さんは、これは性に合っていると感じたそうである。

 

【光を透した色の氾濫】

もともと好きなことには熱中するタイプの田中さん。守谷で習い始めたのをきっかけに、専門書などを見ては違う先生を探し、複数の先生からステンドグラスを習う。「昔からガラスが好きで、光を通して見える色が好きでした。ステンドグラスと言うよりも、ガラスに惹かれたんでしょうね。私は美大を出た訳でもないし、最初は主婦が趣味として始めたことだったんです。今のように教室を開いたり、作家として活動することは想像もしていませんでした」。
ステンドグラスを習い始めて5年ほど経った時に、教室の先生から「公募ステンドグラス美術展」への応募を勧められた。まだ、オリジナルの作品もほとんど作っていなかった頃だが、天の川と星座をモチーフにした作品を出展した。1998年秋に行われた第8回公募ステンドグラス美術展は、出展数254点と大きな規模の展覧会となり「有名なステンドグラスの先生の作品と一緒に、自分の作品が飾られているのを見て、まるで大海に浮かぶ木の葉のような気持ちになり、恥ずかしかったですね」と当時を振り返る。

 

【ボランティアから学んだこと】

その後、難病こども支援全国ネットワークや、つくばみらい市の福祉作業所ひまわり園にて、ステンドグラスを教えるボランティアを始める。「ひまわり園のみなさんは、才能があってこだわりがすごい。そっくりに出来るまで妥協しない姿勢は、私自身学ぶところも多かったです」と田中さん。関係者の方からは園のみんながこんな風に作品が作れるようになるとは思わなかったと感謝の言葉をいただいたそうである。
その後、たくさんの方にステンドグラスの良さを知ってもらおうと教室を主宰する。教室では、作品をどんどん作るより、じっくりと本当に気に入る作品を作って欲しいとの思いから、生徒にも納得がいくまでじっくりと取り組ませることを大切にしている。

 

【病と向き合う】

2003年、自分の人生に思ってもいなかったことが起きる。「乳がんだと知らされたんです。治療のため抗がん剤を投与し、つらい時もありました。主治医からは、普段と変わらない生活をしなさいと言われ…」。教室の生徒からも快復を祈る言葉をたくさんもらい、励みになったという。「ガンになって、人ってありがたいなと思いました。治療をしながら作品を作り始め、教室の生徒さんに励まされ、苦しみも人の優しさも、前よりもっと分かるようになった。それから、作品も変わってきて、遊び心が持てるようになりました」。
命の尊さを身を持って知った田中さん。2006年には「日本美術アートアカデミージャパン」にてタイ・マルセル・G賞を受賞する。タイ・マルセル氏は画家ゴーギャンの孫にあたる。
作品名は「いのちの歌」。
真っ赤なガラスを使ったランプシェードを見て、タイ・マルセル氏は「この色はゴーギャンが好きだった赤」だと賞賛されたという。ステンドグラスが織りなす命の色、光の色は、田中さん自身の輝きなのかもしれない。

 

【美しく優しく愛らしく】

ステンドグラス作家としての活動に、夫の協力はなくてはならないものだった。「夫が理解してくれ、応援してくれていることが、仕事の励みになっています。夫から、教室で月謝を貰い、作品を買って貰うからには責任を持って、もっと勉強しなさいと言われました。病気をした後に、ステンドグラスをやっていて良かったねと言われた時は嬉しかったですね」と田中さん。
「人」という財産をステンドグラスから貰ったという田中さん。美しく、優しく、愛らしくが作品のポリシー、人の心を癒していくためにも、美しい作品を作りたいと語る。「嫌なことがあった時でも、ステンドグラスを眺めて、一時でも心安らぐ時間を持ってもらえたらいいですね。子供がわーっと喜んで見てくれるような作品や、作品を求めてくれた人が、幸せな気持ちになれるような作品を作っていきたいですね」と田中さん。

 

 田中 瑠衣子  Ruiko Tanaka

田中瑠衣子ステンドグラス教室
工房「アトリエ夢×2(MUMU)」主宰
1993年 パリ・ノートルダム寺院のバラ窓の美しさに惹かれ、守谷市のステンドグラス教室に通い始める。
1998年 第8回公募ステンドグラス展に出展
1999年 つくばみらい市ひまわり園にてステンドグラスをボランティアで教える
2006年 銀座ギャラリー・アガペーにて個展、ブルガリア国際芸術博覧会にて2つの賞を受賞、第12回日本美術アートアカデミージャパン2006受賞
2007年 美術年鑑に「伝統工芸異色作家」として評価される。
以降、展覧会入賞、個展開催等、多方面で活躍中

■ショップインフォメーション
田中瑠衣子ステンドグラス教室
工房「アトリエ夢×2(MUMU)」
つくばみらい市長渡呂1-58
TEL.0297-58-4775

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シンヴィング編集部

1994年創刊の地域情報紙シンヴィング。 もっと『守谷』『取手』『つくばみらい』を合言葉に茨城県南地域の情報をお届けします。

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