小張松下流綱火家元 大橋 勘二さん
ふるさとのまつり「網火」夜空をかける花火の舞
「トザイ、東西、さてはや一座高こうには候らえども、不弁舌なる口上をもって申し上げ奉る」と口上から始まる小張松下流綱火。
観客の頭上で繰り広げられる「桃太郎と鬼が島」「大利根川の舟遊山」「龍が天に舞う」など、からくり人形が創り出す物語は、点火されていく仕掛け花火が織りなす幻想の世界でクライマックスを迎える。
毎年8月になると、つくばみらい市で開催されている「綱火」。小張松下流綱火は、別名「松下流三本綱からくり人形仕掛花火」と称し、1603年頃からつくばみらい市小張の愛宕神社に奉納されていたものと伝えられている。家元である大橋勘二さんは、綱火の継承者として、400年続くその伝統を守り続けている。
綱火は、神社の境内にやぐらを組み、そこから3方向に柱を建て、その間に綱を張りめぐらす。その綱を使って空中でからくり人形を操り、花火を仕掛ながら人形芝居をするというもので、古くから伝承されている民俗芸能である。巧みな綱さばきで、くるりと向きを変える人形は、まるで生きているかのように生き生きと動き、天から滝のように流れる花火が幻想的な世界を創り出す。各地にあるからくり人形の中でも、仕掛花火を照明に繰り広げられる神秘的な美しさは、全国的にも貴重なもののひとつとなっており、1976(昭和51)年には国指定重要無形民俗文化財に指定された。
【綱火の歴史】
小張松下流綱火の歴史を遡ると、1603年から1616年まで小張城主であった松下石見守重綱が考案したものといわれている。その家臣として仕えていた大橋吉左衛門(大橋家祖先)が、からくりの秘法を伝授され、今に受け継がれている。「戦国時代でしたから、戦勝祝いとして陣中で演じられたり、戦いの犠牲者の慰霊のための行事として演じられたものだと言われています。綱火というとからくり人形を思いだすでしょうが、綱と火薬を使って小張城へ電報を送った、情報の伝達手段として使われていたのが本当の意味なのです」と大橋さん。
関ヶ原の戦い(1600年)を機に戦国時代が終わり、武士の手から神社の奉納として農民に手に移ったものと推定されている。それから400余年、大橋家を家元として、小張松下流綱火は連綿と保存されてきた。昔は部落の長男だけが綱火の技術を習得できるとされ、厳しい掟に守られてきたのである。
【綱火の伝承】
大橋さんは小張松下流綱火の家元に生まれ、お祭りが近づくと太鼓の練習が始まる家に育ったので、子供の頃から自然と耳で覚えてしまったという。「その頃は、娯楽も少なかったので、みんなが集まって、太鼓をたたいたり口上の練習をするのは、楽しみのひとつでしたね。それに花火が好きも好きだったから(笑)」と語る。けれど、これで満足だという時は少ない。「綱繰りがうまくいっても、花火の点火のタイミングが合わなかったり、その時その時で、これでいいということはないですね」。失敗は許されない、小さな失敗がすべての失敗につながる厳しい世界でもある。
大橋さんは、約20年に渡り小張小学校の生徒に「綱火」を教えている。綱火には、大太鼓、小太鼓、笛、つづみ、鉦(かね)の囃子方と、綱繰りをする人、口上を述べる人など役割分担がある。子供たちは、火薬について研究したり、口上や楽器を練習したりと年間を通して自分たちが住む地域の伝統芸能を学んでいく。「子供たちは飲み込みが早いですね。日本の楽器は、ドレミの5線譜がないのですが、笛を吹けるように譜面を作って教えるとすぐに覚えてくれます」と大橋さん。
【各地での公演】
大橋さんが本格的に綱火を始めたのが1960(昭和35)年。「当時は経済成長が著しい頃、あちこちのお祭りに呼ばれて、特に8月は毎週予定が入っており、忙しい日々が続きました」。1968(昭和43)年には国立劇場にて公開、1972(昭和47)年には明治神宮外苑にて行われた「日本の祭り」に出演。1991(平成3)年にはアメリカ・ユタ州での海外公演を収める。「どんな発表の場でも、やっぱり観客の拍手喝さいが一番嬉しい。心が熱くなりますね。日本の祭りで頂いた拍手がすごかったことは、今でも忘れられません」。
現在は小張松下流綱火保存会として24名が活動している。笛の名人、口上の達人、綱仕掛の先達者、多くの先人がそれぞれの特技を活かし、綱火の伝統を守ってきた。大橋さんは先人が残してくれたものを大切に守り研究しながら、新しい継承者へ綱を渡していく。昨年からは大橋さんの息子さんである大橋健一さんも活動に参加。「帰ってきたたまちゃん」など新しい物語も生まれている。
つくばみらい市で400余年、伝統を守り続けてきた「綱火」。8月7日にはみらいフェスタでの公開が予定されている。
大橋 勘二 Kanji Ohashi
小張城主松下石見守重綱の家臣として仕えていた大橋吉左衛門の家系に生まれ、代々継承されてきた小張松下流綱火の後継者として、その技術を受け継ぐ。平成19年叙勲受章
綱火公開の主な経歴綱火は慶長の初期(1603年〜1610年頃)に考案され、愛宕神社に奉納されていた。
1960(昭和35)年7月 関東甲信越静地区郷土芸能大会に茨城県代表として出場
1967(昭和42)年8月 水戸市主催 水戸黄門祭り
1968(昭和43)年11月 国立劇場にて民俗芸能公演シリーズで「からくり人形」の伝統を公開
1972(昭和47)年8月 明治神宮外苑にて第2回「日本の祭り」に出演
1973(昭和48)年8月 九州飯塚市にて「飯塚音楽祭」に特別出演他、「諏訪湖十五社御柱祭」「東京音楽祭」「茨城郷土芸能の集い」など、各地で公開。
1976(昭和51)年 国指定重要無形民俗文化財に指定
小張松下流綱火これからの予定
8月7日(土)みらいフェスタにて第1幕18時15分から、第2幕19時40分から
8月24日(火)つくばみらい市小張の愛宕神社にて奉納
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