音楽教室主宰 鬼澤 良子さん

音楽教室主宰 鬼澤 良子さん

  • 2009年6月6日 
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歌があって良かったと思える人生を。

音楽が心の友達だった子供の頃の鬼澤さん。
おとなしくて、引っ込み思案な子供だったが、歌だけは人前で自信を持って歌うことが出来た。
やがてその音楽が、大きな世界へ、たくさんの人たちとの出会いへと広がっていった。

10月1日は「国際音楽の日」ということをご存じだろうか。「世界のすべての人々が自分の敵や反対者をも助け合い、憎しみを兄弟の愛に変えるよう努める日にしよう。そして、あらゆる国や地域の人々がさまざまな音楽表現を通して、暮らしの中の音楽のすばらしさを認識する機会を与えられるようにしよう」という理念のもと音楽文化振興法という法律により定められた日である。日本では平成8年以降、10月1日の前後を中心に各地で、音楽イベントが開催されている。
取手市で26年音楽を指導している鬼澤良子さんは、「国際音楽の日」にちなみ、取手市でも音楽を通して子供たちから高齢者まで、世代を超えたコミュニケーションを深められるような音楽コンサートを開こうと活動をしている。

 

【歌の思い出】

「1、2、3、4…」小さい頃、お母さんとお風呂に入り、指折り数を数えて湯船から出た記憶がある。鬼澤さんの場合は「10曲の歌」だったそうである。「長唄の師匠だった祖母と風呂に入ると、10曲歌わないと湯船から上がらせてもらえませんでした。早く風呂から出たかったので、子供ながらに知恵を絞り、なるべく短い曲を選んで歌いました(笑)」。小さい頃からおもちゃのピアノを叩き、4才からオルガン、小学生でピアノを習った。厳格な父から厳しくしつけられたからか、おとなしくて引っ込み思案、友達と遊ぶより、家にいることのほうが多い子供だった。
そんな鬼澤さんが、友達や大人から「上手だね」と褒められたのが音楽だった。歌をうたっている時、ピアノを弾いている時は、自信を持っていきいきと自分を表現することが出来た。高校ではエレクトーンを習い、将来はエレクトーン奏者としての道を考えていた。

 

【歌へと転向】

夜中の3時まで、エレクトーンを引き続けていた高校時代。「これ、時効ですかね。実は出席の返事だけして授業を抜け出し、音楽室でピアノの練習をしていたこともありました」。そんなある日、恩師から「あなたには歌が向いているから、歌の道に行きなさい」とアドバイスを受ける。その一言で大学は声楽学科へ。
それから今日に至るまで、音楽の先生として歌の指導に力を注ぎ、自分自身歌い手として歌い続けている。
また、筑波大学で音楽療法を学び(人間学類精神医学科目等履修)障害のある方や高齢者にも音楽指導をしている。そのきっかけとなったのが、今から10年以上前に一人の少女と出会ったことだ。当時小学3年生だったAさん(仮名)は、言葉も、物事を理解することも上手に出来なかった。両親の希望はピアノが弾けるようになること。けれど、ピアノの前に座っても「ド」の鍵盤が分からない。「ピアノの88個の鍵盤の中からドを探すのは容易ではありませんでした。鍵盤にドはドングリの絵、レはレモンの絵を貼って、楽譜も絵音符で作り、やっとドの音が分かるようになりました。それから歌を教えたら、少しずつ言葉が出てきて、どんどん表情も明るくなってきました」。今はKinkiKidsが好きだというAさんは、音楽を通して自分らしさや、自分の気持ちを開放する方法を見つけていった。

 

【様々な場所での音楽活動】

鬼澤さんの活動は、心身障害者センターや小学校の特別支援クラスでの音楽療法など幅広い。「アメリカでは一人の患者に対して内科医、外科医、理学療法士等でチームが組まれ、様々な治療が試みられています。音楽療法もそのひとつ。私の生徒でご主人を亡くされた人がいました。その時はどんな言葉もかけられず、何も出来ませんでした。それでグリーフカウンセラーの勉強を始めたんです」。グリーフカウンセラーとは大切なものや人を失った時の悲しみから回復する手伝いをする人のことを言う。音楽を通して心のケアをすることが出来たら、それが鬼澤さんの願いだ。
デイサービスでは50代から80代の方にキーボードを使って音楽を指導。半身に麻痺のある人が、音楽で心も豊かになるのを見てきた。
「心の中は見えないけれど、見えないものほど大切なのだと実感する出来事がたくさんありました」。高校の先生として教えた音楽、地域の中で教えた音楽、ひとつ一つの活動が今になって繋がってきたのを感じると言う。

 

【みんなで歌える音楽を】

友達と歌を歌いながら帰った道。学校の廊下で口ずさんだ歌。今の親世代が子供の頃は、もっと身近に歌があったように思う。今は音楽の授業時間が減り、音楽専科の先生がいない学校もあるそうだ。「子供たちが大きな声で歌えなくなっている理由は、学校のカリキュラムだけではなく、家族とじっくり向き合う時間が取れなくなって、心の中に不安を抱え、心を開くことが出来にくくなっていることもあるのでは」。
今年12月に予定されている「〜手を取り合ってうたいっぱいの取手市に〜2009国際音楽の日コンサート」では、邦楽と合唱のコラボ「子供たちに残したい日本の歌」や親子合唱団による「ぞうれっしゃがやってきた」など、子供と親、祖父母、市民、高齢者が、世代を超えて一緒になり、のびのびと歌えるコンサートを企画している。同コンサートは茨城県では取手市が初めての開催となる。「歌の好きな人にたくさん参加して欲しいと思っています」。

 

【子育てと音楽】

鬼澤さんの子育てにはいつも歌があった。「会話を歌にしたり、子守唄を歌ったり、いつも歌っていました(笑)」。怒りそうになった時も歌。「怒る前に心の中で歌を歌うんです。私の場合はチューリップでした。さいた〜さいた〜と歌うと、気持ちが落ち着いてくる。気持ちを冷静にしてから、怒るようにしました(笑)」そんな風に育てた娘3人のうち長女が大学で音楽療法を勉強するようになったそうである。
子供が習い事をしたいと言い出したら「ただ習わせておくだけではなくて、関心を持って欲しい。気持ちを寄り添わせ、褒めてあげて下さい」とのこと。
「これからも、自分の人生に歌があって良かったと思える人生を送りたい」と鬼澤さん。

 

 鬼澤 良子 Yoshiko Onizawa

取手市生まれ。幼い頃から歌が身近にある家庭に育ち、小学生でピアノ、合唱を習い、高校時代はエレクトーンを弾いていた。恩師から歌への転向を薦められ、上野学園大学音楽学部声楽学科へ。県立取手第二高等学校音楽科講師、信濃芸術学院声楽科受験コース講師を経て、現在は音楽教室主宰。取手市内で、のばらコーラス・ブランニュースターズ・四季の歌をうたう会・こどもミュージカルスマイル等のコーラスグループを指導。取手市心身障害者センターにて音楽クラブ講師、(財)音楽文化創造生涯学習音楽指導員、日本音楽療法学会正会員。自身も歌い手として「女声アンサンブルピアチェーレ」「TIMING」のメンバーとしてステージに立つほか、幅広い年齢層の仲間と音楽を楽しんでいる。

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シンヴィング編集部

1994年創刊の地域情報紙シンヴィング。 もっと『守谷』『取手』『つくばみらい』を合言葉に茨城県南地域の情報をお届けします。

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