うたごえ リーダー 橋本 実さん
音楽で人生を作ってきた。
うたごえに歌声が重なり、心と心がひとつになっていく。
みんなのいる場所すべてが、大きなステージになる。
1954年東京新宿に歌声喫茶「灯」(のちに「ともしび」と改名)が誕生した。ステージリーダーを中心にみんなの歌声がひとつになる。歌声は、ひとり一人の心に夢や希望
の灯りをともしていった。
同じ年、福島県船引町(現田村市)に一人の男の子が生まれた。橋本実さん。20年後に、水戸市南町にあったうたごえ喫茶「たんぽぽ」でステージリーダーを務める。
「たんぽぽ」は橋本さんのうたごえの原点となった店である。そして今は、県南地域を中心にしたうたごえ活動で多くの人に感動を伝えている。
【たんぽぽとの出会い】
橋本さんは、子供の頃はいわゆるガリ勉で、自称「はなもちならない奴」(笑)だったという。勉強一筋だった橋本さんは、水戸の大学に入学してギターと出会い、歌の楽しさを知り歌声サークルに参加する。
同時期から、水戸市内のうたごえ喫茶「たんぽぽ」に通うようになる。「当時はかぐや姫や井上陽水が流行っていた頃。特に歌が得意だった訳ではないのですが、みんなで一緒に歌って、100回1000回と練習して、段々上手になっていったというか。きっと歌はハートなんでしょうね」と橋本さん。
大学には行かずに、大半の時間を「たんぽぽ」で費やすようになり、大学は中退。
「大学ではやりたいことが見つからなかった。そんな時に歌声喫茶に通うようになり、すてきな方とたくさん出会いました。ある方から歌を褒められたのがきっかけで、その気になって(笑)」うたごえ喫茶の専従スタッフとなり、住み込みでウェイターをしながら、うたごえサークルの運営や事務などを行った。また、ステージではうたごえリーダーとして客席を盛り上げたり、後輩の育成にも力を注いだ。
【ステージの面白さ】
「自分がしてきた活動は、いわゆるプロの歌い手とは違い、みんなで楽しく歌うことが中心です。自分だけが歌うのではなく、自分と歌っているみなさんとの交流を大事にしてきました」。ステージでは自分の歌を聞いてくれる人が近くにいて、みんなから歌声が返ってくる。ステージは生だから面白いと橋本さん。
仕事と子育てに忙しかった30代40代は、保育所の夏まつりで歌ったり、趣味で歌を楽しんでいたものの、積極的な活動までは出来なかった。50歳を機に「もう一度歌ってみよう」とうたごえの活動を再開する。各地で歌い始めると、うたごえ喫茶を懐かしむ年代を中心に、どんどん歌声が広がっていった。
去る5月31日(日)につくばみらい市のKAWABEグリーンフィールドで行われた「青空うたごえフェスタ2009」では、80名近くの参加者が、橋本さんのギター伴奏と歌に合わせて童謡や歌謡曲などを歌いあげた。どの顔もいきいきとして、心の歌が自然と声になる。笑顔になる。橋本さんの歌から元気がもらえると嬉しい声もあった。
「元気がなくなる世の中でしょ。みんなで声をひとつに合わせることで、気持ちを明るくしたい。歌とおしゃべりで楽しく過ごして、自分も元気をもらっています。一日楽しかったなと思えるステージにしたいですね」。橋本さんのステージはギター一本。どんな風にその曲が出来たのか由来を話したりして、歌の心を伝える工夫をしている。また、ゲームをしたり、笑える話で和ませたり、時には合図に合わせてみんなで大声を出したりと気持ちを開放するステージ作りを心掛けているという。
【扉は何度でも開かれる】
竹内まりやの『人生の扉』という歌がある。いくつの時もいくつになっても、年ごとに楽しいことが待っている。50になって60になって、70、80といつまでも新しい扉は開かれる、そんな歌だ。そう話してくれた橋本さんが、看護婦をしていた妻を亡くしたのが3年前。ガン病棟勤務の妻がガンで亡くなった。「身近な人を亡くして、人生には終わりがあることに気づきました。そして、これからの私の人生が、人の役に立つ人生であればと思うようになりました」。
うたごえ喫茶で知り合った妻との早すぎる別れの時。4人の子供たちに母親がどんな人生を歩んできたのか知って欲しいと思い、告別式では、妻の友人知人にいくつもの思い出を語ってもらった。たくさんの言葉から、子供たちは母親の姿を思い浮かべ、知らずにいた姿までも脳裏に焼きつけることが出来たのではないだろうか。「歌が柱になって、家族がまとまっていた。でも、それはこれからも変わらないでしょう」と橋本さん。
【音楽から学んだこと】
人生の中でめぐり会った物事や人が、学校で教えてもらう事より、もっと大事なことを教えてくれた。人は一人では生きてはいけない。けれど一人でいることに居心地の良さを感じる人もいる。「シャンソンで『私の孤独』という歌があるんですが、欧米人は孤独を愛することが出来て、東洋は人と寄り添う事を好む気がします」。それも、歌やたくさんの出会いの中から学んだことだ。20代の橋本さんが、歌を歌い始めた頃と今、どこが違いますか?と尋ねると「同じです(笑)。30年たっても気持ちは変わりませんね」と橋本さん。
最後に、橋本実さんのオリジナル曲『故郷』を紹介します。
見上げれば春夏秋冬
いろんな顔の移ヶ岳
夜になれば満天の星
遠くから聞こえる夜汽車
静けさと大きさで
私を見守ってくれた故郷
朝早くから夜遅くまで
働き続けた父と母
二人の愛よ故郷とともに
とこしえに続け
誠実に愛することの
素晴らしさ教えてくれた故郷
ラララ…故郷
(一部省略)
橋本 実 Minoru Hashimoto
1954年生まれ 福島県田村市生まれ
大学時代に水戸市内にあったうたごえ喫茶「たんぽぽ」で、伝説のステージリーダーとして、フォークソング、ロシア民謡、シャンソンなどあらゆるジャンルの歌を歌ってきた。50歳を機にボランティアでうたごえ活動を再開。牛久市、土浦市、かすみがうら市、取手市などで定期的にステージに立っている。その数は年間90回以上、抜群の歌唱力とリーダーシップで参加者の心を感動に包んでいる。つくば市在住
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