大杉神社宮司 市川 久仁守さん
200年先に実るかもしれない種を蒔く。
稲敷市阿波にある大杉神社は、地名の阿波をとって「あんばさま」の呼び名で親しまれている、1240年の歴史を有する古社である。
縁結び・子宝・安産祈願・厄除け・商売繁盛などで知られている。
大杉神社宮司を務める市川久仁守さんは「私の仕事は、200年先を見て、その頃に実るかもしれない種を蒔く仕事」と語る。
神社にはいろいろな人がやってくる。結婚や七五三を祝う人、悩みを抱え訪れる方もいる。長い歴史を越えてその地を見守ってきた神社には、その場所が持つ力が宿っているように感じる。稲敷市にある大杉神社で宮司を務める市川久仁守さんに話を伺った。
市川さんが神職を務めようと思ったのは、小学5年生の時だそうである。親は公務員で、跡取りという訳ではなかったが「高祖父が神職を務めていたので、そのDNAを受け継いだのかもしれませんね」と市川さん。今は神職の長である宮司となり、いろいろな人と向き合い、話を聞き、時には助言をすることもある。「家庭の悩みや、仕事の悩み、誰もが多かれ少なかれ悩みを抱えている。神社に来ると、この場所が持つ大きなものに抱かれる力に触れ、せいせいとした、ゆったりとした気持ちになって、涙を流される人もいます」。
【ありがたいと思う心】
ありがたいは有り難いと書き、有ることが難しい、当り前ではないという意味を持つ。「毎朝ありがたいと思うんです。蛇口からお湯がでますよね。水しか出ない頃は、冬場ならやかんで湯を沸かし、洗面器に入れた水を温めて顔を洗った。子供が寒くないように親は手間をかける。それはありがたい行為であり、今よりもはるかに豊かな心があった。今、お湯が出るのは当たり前になっていますが、お湯がすぐ使える暮らしのありがたさを、感じることが大切だと思うのです」。
仏壇や神棚がない家も増えてきたが、目に見えないけれど、確かに存在するものを敬うことは、自分より目上の人を敬う心を育てる、情操教育にもなるのではと語る。戦後教育の中で、信じられるものは物質しかないという考えが台頭したものの、それでも最近は、若い人が神事に目を向けていると感じているそうである。
【人を育てない時代】
不登校や家庭不和で、悩みを相談に来る方もいる。「昔の親は、世の中が甘くないことを知っていましたが、今の親は生活していくことの厳しさをよく知らない。自分が厳しさを知らないので、子供も甘やかしてしまう。子供が失敗する前に手を出してしまう」。
柳田国男が100年前に書いた『遠野物語』の舞台となった岩手県遠野市に残る古文書に今どきの若いもんは…という下りがある。いつの時代も今どきの若者は変わらずいて、年長者にすれば頼りなくも感じるだろうが、その年長者もまた、振り返れば今どきの若者だったであろう。
「今どきの若いもんを、目をつぶって静かに見てあげること。見向きもしないのでは困りますが、手を差し伸べるのは倒れる寸前でもいいのではないでしょうか」と市川さん。
例えば、不登校の問題についても「答えはひとつではありません。自分の見栄や世間体のために学校に行かせようとする親もいます。私は人の幸せが見栄にあるとは思えない。子供は親の気持ちを敏感に汲み取り態度に表わします。子供の考えをよく聞いて、その子のためになる判断をして下さい。そして、子供をぎゅーっと抱きしめてあげて欲しい」。
【自分を信じていく力】
「今日植えた種は、明日は生えてきません。手元にある1升の籾を全部食べたら、それで終わりです。けれど、5合を食べて、5合の種を蒔いたら、来年もご飯が食べられる。苦しくてもがまんをすること。がまんが本当の投資なんですよね」。誰かに依存しないこと、誰かのせいにしないことも大切である。自分だけを大切にしていると、困りごとが起きても誰からも相手にされず、結局は自分を守れなくなる。「お天道様に恥ずかしいって言いますよね。お天道様は太陽ではなく、自分を照らしてくれる明るくしてくれる思いや存在です。それに対して、恥ずかしくないかということです」。
人は人に生かされる。「人を信じるとは相手を思いやる気持ちです。自分を信じていない人を、他人は信じるでしょうか。自分を信じていく力をつけて欲しいと思います」。
【夢を叶えるために】
昔は叶わせるものが夢だった。今は叶わないものが夢。夢が持てない等身大の国になったと感じるそうである。けれど、夢を捨てなかった人が夢を叶えている。「これからを担っていく子供達には、既成概念にとらわれた夢は持たないようにと伝えたい。何になりたいのか、なりたいものがあればなればいい。やろうと思ったら、やれることを考える。出来ないと思うと出来ない理由を考え始めてしまう。なせぬは人のなさぬなりけりです」。
何をしたらいいか分からず、悩んでいる人には「自分が他人と少し違うところは何か考えてみるといいですね。それが、自分のアイデンティティ、特徴です」
【今後の活動について】
宮司になりいろいろな人と出会い、時には人間不信に陥ったこともあったそうである。けれど「人は裏切るけれど、それもまた人間」だと思えるようになった。今後は200年300年かけて実るかもしれない種まきをしていきたい。大きな期待があるわけでもなく、落ちた種が実を実らせることもあるだろう、そんな気持ちで自分が何故この地に降り立ったのかを模索していきたいと市川さん。
市川 久仁守 Kunimori Ichikawa
1958年生まれ 兵庫県出身
1992年 大杉神社に宮司として就任。
祭祀学、有職故実や諸儀礼に詳しく、古代学、考古学の研究にも造詣が深い。毎月第2土曜日には参拝者と話をする時間を設けている。
大杉神社では、古くから正月、五月、九月の年3回祈願を受ける「正五九参り(しょうごくまいり)」が盛んであった。現在は正五九参りを3年間行う「正五九三年参り」祈願を受けに来る方が多い。
今年、1728年に焼失した「麒麟門」の再建に着手。280年の時を経て色鮮やかな彫刻に彩られた門が蘇る。
http://www.oosugi-jinja.or.jp/
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